カテゴリ:懐かしの子育て奮闘記( 9 )

学芸会 パートⅢ            4月11日

学芸会の思い出、最後は私ではなく息子のです。

小学校4年生だった息子の担任は、教師になる前は、寺山修司劇団で脚本を書いていたというユニークな前歴の持ち主でした。
学芸会での劇は、当然この先生のオリジナル脚本で、主役に立候補した数人の中から、引っ込み思案だったはずの息子が、なぜかその座を射止めました。

ただし、もしやってみて演じられないようなら交代するという条件が付けられたようでした。
『Tちゃん、主役になったんだってね』と、同級生のお母さん数人に言われて、たかが学芸会の劇ですが、私にもプレッシャーがかかってしまいました。

母子で台詞の練習をしました。
本格的な劇ということで、手渡された分厚い台本を前にして、台詞を覚えられるだろうかと、私も息子も不安になってきました。
まず、私が手本を示し、それを真似て息子が読み上げました。
何度も繰り返し練習しても、抑揚がまるでなく棒読みです。(加藤清四郎くんのような才能なし)

それから少し経って、息子はもう台詞の練習をしなてもいいと言いだしました。
やはり、交代させられたのです。

代わってくれたのは、息子の仲良しのS君でした。 何をやらせても頼もしいS君は、短期間で台詞をマスターし、本番でも堂々と演技していました。
息子は、その他大勢の役に降下。  どんな思いだったのでしょう。

d0067794_2128023.gifその1~2年後、S君は児童会の会長に立候補し、息子が応援を引き受けました。
しばらく経ったある日、息子が書いた作文を偶然読んで、私は息子の思いを知りました。
その作文には、「S君の応援を引き受けたのは、借りがあったから・・・」と書かれてありました。
あの学芸会の劇を途中で投げ出した格好になった詫びの言葉が綴られていて、引き受けてくれたS君には、何かでお返しをしようと思っていたと書かれていたのです。
まぼろしの主役も、息子には貴重な経験になったはずです。

またその後、主役の起用に失敗した先生は、まだ40代という若さで人生を駆け抜けて逝ってしまいました。 
生協で買い物中に倒れそのまま人生を終えるなんて、ご自身が作ったドラマにもない筋書きだったことでしょう。
 
[PR]
by tazu0617 | 2010-04-11 21:28 | 懐かしの子育て奮闘記

ないしょの、おねしょのはなし。      9月7日

娘が誕生して1年9か月後に、今度は息子が生まれました。(昭和58年)
その当時は、まだ赤ちゃん用の紙おむつが出回るようになったばかりだったので、お出掛け以外は、布おむつを使っていました。
二人分のおむつの洗濯を覚悟していたのですが、姉のほうはちょうどこの時期に教えるようになり、おねしょも全くしない手のかからない子でした。
d0067794_2229435.gifところが、息子のほうは・・・・・2歳になっても3歳になっても・・・・・1年生になっても2年生になっても、おねしょをしていました。
何とか治す方法はないものかと工夫もしてみたのですが、効果がありません。
呑気に構えていた私も、いささか心配になってきました。

そんなとき、北海道新聞の女性限定の投稿欄「いずみ」に、ある方の思い出の記が載っていて、読み終えた私は涙でいっぱいになりました。
切り抜きを、ずっと引出しにしまってありましたが、ここにご紹介します。

    『布団の地図』        〇〇 昌子 (57歳・主婦)   
先日、マチはずれのある家の物干しざおに、めったに見ることがなくなったおねしょ地図の布団が干してありました。
それを見て、ふと遠い昔の出来事を思いました。 あれは私が10歳、弟が8歳のときでした。私の家は山奥でしたので、小学校に入るとき、町に下宿をしたのです。

当時、弟はたまにおねしょをしていましたが、親元にいるときは何とも思わなかったのですが、他人の家ではそういうわけにはいきません。
何度目かのおねしょの時、下宿のおばさんは弟のお尻をものさしで打ち、その布団を丸めて弟の背中にくくりつけて外に立たせたのです。 寒い冬の朝でした。

布団の重さで首筋を赤くしている弟をみて私はかわいそうで、泣きながらおばさんにあやまりました。 それからは夜が恐怖になり、気をつかいましたね。

ある夜、弟は私に「お姉ちゃん、いつも僕のためにごめんネ。 今度から僕おねしょをしないから」と言うのです。 その夜、いつものように私は弟のおちんちんのところへそっと手をやると、びっくりしました。
布団をめくってみると、ちんちんの先に洗濯ばさみがとめてあるのです。 安心して眠っている弟の顔をみて、涙がボロボロ流れました。

朝になって弟に「痛いでしょう」と言うと、涙をいっぱいためて「ううん」と言うのです。
その時、私はこれからは私がおねしょをしたことにしようと思い、涙をふいてやったのです。
ずいぶん昔のことですけど、私にとって笑うにはあまりにも悲しい思い出なのです。(終り)
                                

d0067794_22422132.gif
私の息子は結局、小学校の高学年までおねしょをしていたのですが、ある日突然治ってしまいました。
彼は、明日が25歳の誕生日。 このおねしょの話は、内緒に願いますね。
[PR]
by tazu0617 | 2008-09-07 21:50 | 懐かしの子育て奮闘記

サッカー部orラグビー部?        6月20日

娘が高校3年生の時、進路について担任の先生との二者面談がありました。d0067794_045341.gif
私は指定された時間に間に合うように仕事を抜け出し、学校に駆け付けたのですが、5分ほど遅れて到着してしまいました。
玄関に面談場所の張り紙があり、私は急ぎ足でその教室へと向かいました。
教室の入り口には、私を待っていたらしく先生が立っていて「〇島さん?」と言われました。
確か担任の名前は、〇島先生と言ったわ、と思い「はい」と答えると、中へと招じ入れられました。
広い教室の中は、いくつかのブースに分かれ、面談中の他の先生もいました。
私は初対面の担任の先生に、遅れたお詫びと子供がお世話になっているお礼を言いました。
先生は分厚い手帳を広げ、いきなり「欠席が多くて、このままだと単位を取るのが難しいし、成績も芳しくない」と切り出しました。

娘はテニス部に入っていて、対外試合のときには学校を休んでいましたが、それは欠席扱いにならないと聞いていました。 と、すると親に隠れて学校をサボっていたんだわ~
ショック!そのほか、褒められないことばかりで、私は小さくなって聞いていました。
                            d0067794_055141.gif
さらに・・・
「ところで、子供さんが入っているのは サッカー部でしたか?」
「いえ・・・・?」
「あぁ、ラグビーでしたね?」
「いえ、あのぅ・・・一応女の子なのでテニス部なんですけれど・・・」
「えっ、女の子? あっ~人違いだ! 道理で話が合わないお母さんだと思った!」

この先生は隣のクラスの担任で、面接をするはずの生徒の名前と、娘の担任の名前が酷似していたのも間違いの原因だったのですが、急ぐあまり教室の入り口で名前をしっかりと確認せずに生返事をした私が悪いのです。

家に帰ってから、娘に間違って面談をしてしまったことを話しました。
「あぁ 何てことを!恥かしくてもう学校には行けないよ」と言われましたが、私の娘です、そんなことを気にして休むほどデリケートではありませんでした。

成績がどうのこうの、ということより、学校をサボっていなかったことが分かり、「ホッ!」でした。
[PR]
by tazu0617 | 2007-06-20 00:45 | 懐かしの子育て奮闘記

幻のくろんぼ大会              4月23日

今から10数年前までは、真っ黒に日焼けした肌は、健康的なイメージがありました。
オゾン層の破壊により、紫外線を直接浴びると、皮膚癌になるおそれがあることが分かり、今までの「健康」が「不健康」へと置き換えられるようになりました。

息子は、生まれつき色黒でした。
保育園では、夏になるとすぐ近くの海で遊ばせていましたから、さらに日焼けして黒光りをしていました。d0067794_3441185.gif
小学校に入ると「くろんぼ大会」というのがあって、夏休みが終わって一番日焼けして黒くなった子供を表彰していました。
引っ込み思案だった息子が、脚光(?)を浴びる数少ないチャンスになると思い、私は優勝する姿を密かに思い描いていました。
ようやくその「晴れの舞台」が待っている一年生になりました。 
夏休みが明け2学期へと送り出した私は、朗報を待っていました。
ところが、上記の理由で「くろんぼ大会」は、廃止になり、「優勝」も幻となってしまったのです。
d0067794_3565528.gif
私は、男の子は黒いくらいのほうが野性的でいいと思っていましたし、息子もそれを気にする様子を見せませんでした。

でも、高校生になった息子の部屋から「美白クリーム」が見つかり、「えっ~気にしていたんだわ」と少々驚きました。

          (現在の息子のイメージ・ただしお酒は飲みません↓)
d0067794_358402.gifいまどきの青年は、おしゃれをすることがごく普通のようで、化粧品も私よりずっと高価なものを使っています。 
そんなものにお金をかけないで本の1冊でも買い、自分を内面から磨いたら?と我が息子に望むのは、無理なことなのでしょうか・・・・。 (私も磨きがかかっていませんが)

息子と同じ名前のキムタクがエステのCMに出ていますが、何もしなくたって元々彼はカッコいいのですよね。
[PR]
by tazu0617 | 2007-04-23 00:55 | 懐かしの子育て奮闘記

息子の小学校入学式               4月6日

入学式、と言ったら何を思い描きますか。d0067794_0243175.gif
真新しいランドセルを背に、母親に手を引かれ校門をくぐる・・・・。
でも平成2年、息子の小学校の入学式は、それとはかけ離れたものでした。

都合があって、一緒に登校できなかった私は、父(おじいちゃん)に息子を頼みました。
式が終わって各教室に戻り、先生が諸々の説明をしているときに、私は遅れて教室に入って行きました。
隣のお母さんが、「タックン、どうしてランドセルを持って来なかったのか、って先生に怒られていたわよ」と小声で教えてくれました。
「あ~っ、ランドセルを持たせるの・・・忘れちゃった!」。
新しい教科書が配られ、皆ランドセルの中に納めたのに、うちの息子のは机の上に置かれたままでした。 タックン、ゴメン!ドジな母で・・・。

担任になった先生は、定年間近と思われるようなお歳の方でした。
その日の最後に、先生がジェスチャーをつけながら歌を披露しました。
d0067794_0321281.gif♪とんぼのメガネは水色メガネ 青いお空を飛んだから、飛んだから~
胸で手をクロスさせ小首を曲げてみせました。
ニコリともしない真剣な顔つきでしたが・・・・気の毒なほど似合わない! 
あとで聞いた話ですが、ここの学校で低学年を受け持つのは初めてだったそうで、戸惑いもあったようです。

この先生には2年間受け持たれましたが、年齢云々というより「子供向け」ではなかったように思います。 最後まで笑顔を見ることはありませんでした。

それから少し経って 夫の親戚で不幸がありました。
私は失礼しましたが、葬儀のときに写した親戚の集合写真を、あとから見てビックリ!
あの担任の先生がいるではありませんか。
夫の従姉のだんな様だったのです。  あ~ぁ!!
[PR]
by tazu0617 | 2007-04-06 01:43 | 懐かしの子育て奮闘記

子供の発想                 3月27日

子供は、大人が考えもしない発想をすることがあり、「なるほど」と思うことがあります。

息子が小学校の低学年(2~3年)のとき、私は彼の質問に答えを窮しました。
「もしも、もしもね、 乗っていたバスがどこかに追突したとするでしょう、 その瞬間に飛び上がったとすると、その子はケガしないんじゃない?」
d0067794_1102239.gif
私 「ムムム・・・・」。
ちょうどぶつかる瞬間に飛び上がることが可能かどうかは別として、発想としてはなかなか面白いと思い、「馬鹿馬鹿しい、そんなの無理な話でしょ」とは、否定できずにいました。

それ以来、そのような事故の報道を耳にするたび、 「もしも、もしも その瞬間が分かって飛び上がったら、助かったかもしれない・・・」と、一人でつぶやくようになりました。

このたびの旅行で、私は着陸体制に入った飛行機の窓から東京湾を眺め、「もしも、もしも海に突っ込むなんてことになったら、一応その瞬間に飛び上がってみようか・・・」などと本気とも冗談とも言えないことを考えていたのです。 それには、命を守るはずのシートベルトが邪魔になりますが・・・。

飛行機は100%安全とは言えませんが、事故を起こす確率は他の乗り物と比べるとずっと少ないはずです。 信頼をして乗ること以外に、私達ができることはありません。

d0067794_1451744.jpgでも、旅行から帰った翌日、全日空機で胴体着陸というアクシデントがあり、ちょっと複雑な気分になりました。
もしも、その場に居合わせたなら、シートベルトをほんの少しだけ緩めて、飛びあがってみようかな・・・・?なぁ~んて。
[PR]
by tazu0617 | 2007-03-27 00:24 | 懐かしの子育て奮闘記

「はなみず はなこ」さん             3月22日

昭和56年、まるまると太って生まれた娘は、とても健康で育てやすい子でした。d0067794_1343763.gif
でも、ただ一つ困ったことに・・・・すぐに鼻水が出るのです。 
昔と違って服の袖で拭うなんてことはさせられません。 
ティッシュぺーパーが離せませんでしたね。 それは4~5才まで続きました。
私はそんな彼女のことを 愛情を込めて「花水 花子さん」と呼びました。

花子さんが4歳頃のある日、特別に鼻水がひどかったので、 鼻の穴にティッシュで作った栓をしてやりました。
ところが 何かのはずみで中に入ってしまい、外からは見えなくなってしまったのです。
何とか取ろうと思い、いろいろ試したのですが、一向に出てくる気配がありません。
d0067794_1351461.gif
諦めて耳鼻咽喉科医院に連れて行きました。
混んでいて待たされること 小1時間。  と、その時でした。
突然 「ハックショ~ン!」。 ティッシュも一緒に飛んで出てきました。
こうなったらもう、病院には用がありません。  
「すみませ~ん」と受け付けに訳を言って帰ってきました。
 
そうか・・・病院に連れて行かなくても、鼻に胡椒を振りかけ、くしゃみをさせるとよかったんだわ。
ひとつ学習をして帰ってきた愚かな母でした。
[PR]
by tazu0617 | 2007-03-22 01:20 | 懐かしの子育て奮闘記

カッコ悪い私                  3月19日

北海道に生まれてスキーができないなんてカッコ悪い、と思っていた私は、せめて子供達には上手になってほしいという願望があり、小さいうちからスキー場に連れて行きました。
そのカッコ悪い私が、股に子供を挟んで滑るのですから、さらにカッコ悪いスタイルですね。

娘が6歳、息子が4歳のときだったと思います。
二人を手稲オリンピアに連れて行き、前のリフトに私、そして後ろのリフトに姉弟を一緒に乗せました。
バイトの方がうまく乗せてくれたのですが、私は心配で後ろを振り返って見ていました。
そのとき、掛け方が浅かったらしい弟がズルズルッと滑り落ちていったのです。 
「あっ~!・・・・」
乗ってすぐだったので、ケガをするような高さではありませんでした。
リフトは止まらず進んで行きます。 私は大きな声で「そこで待っていて~」と叫びました。

上に到着した私と娘は大急ぎで、下で待っているはずの息子の所へと滑って降りました。
ところが、息子がいないのです。
聞くと、私達のすぐあとのリフトに一人で乗せた、と言うのです。 
「えっ~!・・・」
一人でリフトを降りることなどまだ無理なのです。
たとえ手伝ってもらって降りることができたとしても、そこに母はいないのです。

d0067794_2358660.gifまた急いでリフトに乗りました。
人一倍臆病の息子は、どんな気持ちで母を探しているのか・・・胸が痛くなりました。
半分くらい登ったところで、私の目に飛び込んできたものは、一人ぼっちになった息子が、頼る人もいなく必死に降りてくる姿だったのです。

広瀬香美の歌がスキー場に流れ、私の叫ぶ声がなかなか届きません。
こんな時、母親はものすごい声が出るもののようで、「動かないで~!」という悲痛な叫び声がやっと届きました。

それから数年後、二人ともスキー学校に通うようになり、カッコ悪い私とは一緒に滑りに行かなくなりました。
そして私のスキー人生は、静かに幕を閉じたのです。
[PR]
by tazu0617 | 2007-03-19 00:11 | 懐かしの子育て奮闘記

お知らせ                    3月19日

何の構想もないまま、ブログを始めて最初にカテゴリーを設定しました。
【過去ー想い出の頁】は 文字通り思い出したことを気まぐれに綴っていましたが そのうち育児に関するものは このたび【懐かしの子育て奮闘記】という別のカテゴリーにまとめることにしました。
d0067794_23264574.gifけっして立派な母親ではなく、失敗の連続だった子育てを反省の気持ちををこめて記録していこうと思います。
私のブログは あまり変化のない日記形式なので、退屈でしょうけれど、人の日記を覗いてみようかというノリでご覧いただければ、と思います。
[PR]
by tazu0617 | 2007-03-19 00:10 | 懐かしの子育て奮闘記