カテゴリ:過去---想い出の頁( 32 )

学芸会の思い出 パートⅡ      3月21日

小学校時代の学芸会は、劇、舞踊、合唱(奏)というジャンルに分かれていました。
私はなぜか劇にしか出たことがなかったので、ダンスに憧れていました。
多分、普段のさりげない仕草から、ダンスには不適な子と思われていたのでしょう。

その私にチャンスが訪れたのは、5年生のときの学芸会でした。
しかも、群舞ではなく2人だけで踊るという注目度の高いものでした。
放課後、練習が始まりました。
もう一人は、小百合ちゃんという名前の、吉永小百合そっくりの可愛い女の子でした。
覚えが早い小百合ちゃん。 覚えが悪くぎこちない私。

全然サマにならない私に、先生が下した決断とは・・・。
さすが私を降ろすことはできなかったようで、逆にもう一人上手な子を増やしたのです。
目をそちらに向けようとしたのでしょう。

私は「踊れない子」と、自分自身にレッテルを貼りました。

時が経って、勤めた頃は社交ダンスが盛んな時代だったので、誘われてダンスホールに行くようになりました。
踊れないと思い込んでいた私が、すっかりハマってしまい、週末には必ずといっていいほど、踊っていましたね。 得意は早いテンポのジルバです。
踊れない子、返上で~す。
                              (写真は、クラブ活動の紹介ページより)
d0067794_209485.jpgシニアネットでは、「カラオケとダンスの会」というクラブに入り、月に一度の例会を楽しんでいます。 (今日は、その例会がありました)
ここに入って数十年ぶりに踊ったのですが、
リズムは身体が、ステップは足が覚えていたようです。
パートナーは、もちろん会の男性ですから、
60~80歳代なのですよ。
みんなで青春時代にタイムスリップ!! 
                        
                              
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by tazu0617 | 2010-03-21 20:04 | 過去---想い出の頁

学芸会の思い出  パートⅠ         3月18日

d0067794_1592818.jpg小学校3年生の秋の学芸会。 その年の劇は「牛若丸」で、私の役は牛若丸の母である常盤御前でした。

当時、母は寮母をしていて忙しかったのですが、私の出番に間に合うように劇の中で着る衣装を持ってきてくれる約束になっていました。
ところが、待っても待っても来ないのです。
出番が近づいて来ました。 私は外に飛び出し母の到着を待ちましたが、とうとう間に合いませんでした。
急遽、ほかの劇で使う着物を借り、泣きはらした顔で演じました。
私は記憶にないのですが、泣く場面もあったようで、観客は舞台裏の出来事に気付かなかったらしいです。

母は、仕事の合間に私の劇だけを見るために駆けつけようとしたのですが、学校が遠いため、商店のお兄さんに車で送ってもらうことになっていたそうです。
その車が故障してしまったとか。 
田舎でしたし当時はまだ公衆電話もタクシーもない時代です。
母だってどんなに気が急いたことでしょう。

劇が終わったあと、出演者全員で記念写真を撮りました。
私の衣装は、すぐに返さなければならなかったため、私だけが普通の服で写っています。

まだ9歳でしたから、終わってしまえば、なんてことはなく、記憶にも残らない程度の悲しさだったのですが、どうしても忘れられないのです。
それは、母がそのことを悔いていて、「可哀そうなことをした」と生涯(まだ生きていますが・・)言い続けたからです。

私は、その都度「悲しくて泣いたことなんかもう忘れているんだから、気にしないで!」と、言ったのですが、少し前のブログにも書いたようにネガティブな性格の母なので、自分を責め続けたのです。

気にしてもしょうがないことは、あまり気にしない主義の私。 
私の生き方のほうがラクだと思うのですが・・・。
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by tazu0617 | 2010-03-18 23:53 | 過去---想い出の頁

給食の思い出              3月10日

前回、子供のころの写真を載せたついでに思い出したことを、書いてみようと思います。
私は、かなりの偏食でした。 いや、過去形ではなく、今でもその傾向があります。

d0067794_2063962.jpg小学校・中学校と、学校では給食でした。
その当時の給食は、だいたい左のような感じで、アルマイトの食器に、コッペパンとバター・汁物のほかに一品、それからほとんどの皆さんがマズイという脱脂粉乳などのメニューでした。
私は脱脂粉乳が美味しくなかったという記憶も美味しかったという記憶もありません。
ただ、肉が大嫌いだったので、食べ残すことを許されなかった給食は、拷問に近いものがありました。 
先生の見ていないスキに、隣の子に食べてもらったり、昼休みもなく一人ポツンと嫌いなものと睨めっこしていました。
きっと、好き嫌いをなくそう!ということの指導だったと思いますが、苦痛以外の何物でもありませんでした。

母は、私が食べやすいようにと、カレーライスにひき肉を使ってみたそうです。
ところが、意地悪とでも思ったのでしょうか、泣きながら一粒一粒を箸で摘まみ出したそうです。
肉以外にも嫌いなものが多かったですね。

ところが、6年生のときに転校した小学校では、残してもOKだったのです。
もったいない、と言われれば確かにそうなのですが、私は長年の苦痛からやっと解放されたのです。
中学では、まったくの自由でした。

「こんな美味しい肉を嫌いなんて、可哀そう・・」などと、今も言われています。
肉の入ったメニューは多いので、それはとても上手に分けて食べます。
大変そうに見えるかもしれないのですが、そうやって50年以上もやってきているので、ほとんど無意識に手が勝手に分けてしまうのです。
栄養も十分すぎるくらい足りているようですので、どうぞ、ご心配なく・・・。
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by tazu0617 | 2010-03-10 20:00 | 過去---想い出の頁

物 心             3月1日

シニアネットの仲間で、ブロ友でもあるうっふーさんは、最近の記事の中で「物心がついたのは何歳のころだったか」と、回想しています。 
記憶に残るような出来事があって、あとからそれが何歳の時のこと、と分かる場合もありますが、私はとても曖昧な記憶しかありません。

3歳3カ月上の兄は、私が生まれたときのことをはっきりと覚えていると言います。
母のお腹が痛くなり、急いでお産婆さんを呼びに行ったこと。 そのときの母の前掛けの柄まで覚えていると言うのです。

私は物心がついたのは、4~5歳のころだったような気がします。
右の写真は、多分5歳くらいのものでしょう。d0067794_22141415.jpg
前列でにこやかに笑っているのは、私と同い年のいとこです。背がとても高く脚もほっそり。
 
そして、怒ったような怖い顔をしているのが私です。 ちょっとポッチャリしていますね。
  (50年も前の写真なので時効と思いボカシ                    入れませんでした)
松島トモ子・小鳩くるみなどの童謡歌手の影響でしょうか、私も同じように当時流行っていた後ろ髪は短く刈り上げ、横髪にはパーマをかけた髪型をしています。
スカートの下から、パンツが見えていますね。
 
子供のころの私はいつも怖い顔をしていて、愛想が少しよくなったのは、大人になってからです。
いとことは、小学校の5年生まで同じ町に住んでいました。
横浜に引っ越ししてしまった彼女と別れた数年後に再会したのですが、意外なことが・・・・。

More 【 意外なこととは・・・・? 】
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by tazu0617 | 2010-03-01 22:01 | 過去---想い出の頁

4がいっぱい。        12月11日

北海道に住みながら、oss102さんのようにスキーも上手く滑れず、冬は苦手です。
寒がり屋の私は、部屋の中でも「寒い、寒い」と言うのが口癖です。 
さらに一番憂鬱なのが雪道の運転です。

今から10年ほど前の真冬のことですが、仕事で他町村を訪れていました。
私はゼンリンの地図を手に、顧客の家を探し回っていましたが、初めての地区、しかも
夕方とはいえ真っ暗だったので、なかなか目的の家に辿り着くことができませんでした。
奥へと奥へとゆっくり車で進みましたが、もう人家らしい建物もないようなので、狭い空き地を見つけ、Uターンをしようとしました。

ところが、ズボズボッと車が雪に埋まってしまい、脱出できなくなってしまったのです。
私は、状況を確認しようと車から下りてみて、顔が真っ青(多分)になりました。
何と、車の30センチ横が小川だったです。
その上に雪がこんもりと覆いかぶさっていたので、川が流れていようとは、まったく気が付きませんでした。

一番近い家に助けを求めました。
幸い、4輪駆動のガッチリした車があるお宅だったので、ロープで引っ張り上げてくれました。
神様にも思えるようなお宅で、後日あらためてお礼に伺いました。
もし、川に転落してしまったのなら、どうしたのだろう・・・思い出すとゾッとすることが、冬の運転では何度かあります。

話は変わりますが、昨日の夜、車のエンジンをかけながら何気なく走行距離メーターを見て、あらら・・・でした。
d0067794_481787.jpg4がたくさん並んでお見事です。 
記念に携帯カメラでパリャリ・・・。
で、今年の冬道の運転もこれで乗り切ろうと、こじつけてみました。
    4  しっかりせよ
    4  神経使え
    4  慎重にね
    4  心配かけるな
    4 (最後に)しあわせだよねぇ             以上でした。
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by tazu0617 | 2009-12-11 04:01 | 過去---想い出の頁

祖父の記憶                11月27日

私には、4人の祖父母の記憶がほとんどありません。d0067794_2362358.gif
小学校のとき、ただ一人残っていた父方の祖父が、我が家で一緒に暮らすことになりました。
先日のブログで書いた、今テレビで放送中の篤姫の時代
(江戸末期)に生まれたという祖父です。
我が家にやってきたときは90歳を超えていて、すでに認知症になっていました。
少し前までは「老人性痴ほう症」と呼ばれていましたが、当時はその言葉もなく「もうろく」と言っていました。

発作が起きると突然凶暴になり、数人で押え込みました。 私はその様子を横で見ていました。
やがて、フゥ~ッと大きな息をし、何ごともなかったように、また静かに本を読み出すのです。 驚くのは、眼鏡を掛けないで読んでいたということです。

また、徘徊もありました。
車などほとんど通らない田舎道ですから、交通事故の心配はありませんでしたが、二人の兄たちは、そっと後を付けるように命令され、面白半分で付いて行ったと聞いています。
かなりの速さで数キロを歩き、どうにか戻ってきたようです。
健脚だったのですね。

私たち兄妹は、祖父の奇行を珍しそうに眺めていましたが、やはり一番心を痛めていたのは父だったのではないでしょうか。
当時は、充実した施設などなかった時代でしたから。

間もなく祖父は入院し、そのまま帰ってくることはありませんでした。
葬儀の席でも、私は悲しいという感情は全く起こりませんでした。
名前を呼んでもらったことも、抱っこしてもらった記憶もなく、正直言って愛情がわきませんでした。

あれから、40数年が経ちます。
もしも、私に孫が生まれたなら、思いっきり可愛がってあげよう!
でも、お嫁さんには煩がられるかもしれません、ほどほどの距離がいいのかも。
まだ見ぬ孫を想像して、ばば馬鹿予備軍の鶴子でした。
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by tazu0617 | 2008-11-27 02:20 | 過去---想い出の頁

ハンカチ収集              11月9日

小学校の高学年のとき、遠くに住む叔母からの小包の中に、女の子用のハンカチセットが入っていました。
私は、使ってしまうのがもったいなくて、しまっておくことにしました。

それをきっかけに、私のハンカチ収集が始まりました。
と、いっても少ないお小遣いです。 わざわざ買うのではなく「ハンカチ集めているの~」と宣言して、お土産などに買ってきてもらうのです。

ある時、学校で趣味を発表する機会がありました。
まだ英語も習っていなかった年齢だったのですが、私は堂々と「ハンカチのコクレションです」と言いました。
先生は、しばし考えて「あぁ、コレクションね」と、訂正してくれました。 なぜかそのときの光景が昨日のことのように思い出されるのです。

そういえば当時、学校では毎週「ハンカチとチリ紙」の検査がありました。 それと、爪の長さが適正かどうかという、今では懐かしい検査もありましたね。

d0067794_2236319.jpgd0067794_2349358.jpg











(左は小学校、中学校時代に集めたハンカチの      (右は大人になってからのもの。
一部。 時代を感じる絵柄が多いですね)            生地もよくなっています)


あれから40数年、もうとっくに収集はやめたのですが、それでもなぜか増えていくものです。
今はバックの中にもハンカチは入っていないことが多いですね。
なぜって、ほとんどポケットティッシュで用が足りるからです。
街を歩けば、買わなくてもポケットティッシュは手に入ります。 ハンカチのように洗ってアイロンをかける必要もありません。
でも、ハンカチくらい持って歩くのが、たしなみですね。 ちょっと反省!

今年も残り少なくなり、服喪中の案内の葉書が届く時期になりました。
ハンカチを集めるきっかけを作ってくれた叔母が亡くなり、喪中の案内が届きました。
記事にするため、並べてみたハンカチに、私は遠き日のことを思い出しているのです。
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by tazu0617 | 2008-11-09 23:05 | 過去---想い出の頁

そろばんの思い出              5月24日

実家で見つけたこの算盤は、明治の初期(120~130年前)のもののようです。
お宝発掘!と言いたいところなのですが、このころは算盤もかなり普及していて、珍しいものではないそうです。
d0067794_456516.jpg

私は小学校の時、算盤を習っていて、ちょっと得意だったのですよ。 (じつは一級)
でも、手先が不器用なのと桁の多い暗算に弱く、それ以上は無理でした。
私たちが子供の時代は、習い物の代表的なものが算盤でしたが、便利な電卓が登場してからは、使わなくなってしまいました。

そういえば、カシオが安価な小型電卓を発売したときのコマーシャルを覚えていますか。
カシオは、計算機のほかにも画期的な商品をどんどん開発し業績を伸ばしていますが、原点はこのCMの ♪ 答え 一発 ! カシオ・ミニ~だったのです。

ずっと昔、夜の算盤塾からの帰り道のことです。
私は、元々動物が苦手なのですが、犬に追いかけられてしまったのです。
逃げても逃げても犬は執拗に私を追いかけて来ました。
どうやって家まで辿りついたのかは忘れましたが、怖さと疲れでショック熱が出てしまい、翌日学校を休んでしまった記憶があります。
やみくもに走っては犬に勝てるわけがないのですが、犬への接し方も分からなかったのです。d0067794_112433.gif
私は、犬に対して恐怖心を抱くようになってしまいました。
犬を可愛いと思えるようになったのは、娘が飼い始めてからで、ごく最近のことなのです。

この明治時代の算盤を眺めて、またもや思い出に耽っている私でした。
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by tazu0617 | 2008-05-24 02:30 | 過去---想い出の頁

運河に落ちた帽子        5月6日

シニアネットの会員で、さらにフラグループ「フラネット」の仲間、そしてブロ友のこまどりさん。  彼女の昨日のブログ(こまどり日記)に書かれていた飛ばされた帽子を読んで思い出したことがあります。
それは5~6年前のことです・・・・。

私は夏になるとアウトドアの行事には、安物の麦わら帽子を被って出掛けていました。d0067794_0121795.gif
友人のN子さんは、その帽子が気に入らないようで、「古くさい、ダサイ・・・」などと、さんざん悪口を言われました。
私は、いくらN子さんがズバズバ言う人と分かっていても、あまり快くありませんでした。
でも、ようやく黒のレースの帽子に買い替え、出掛けた日の出来事でした。

d0067794_095855.jpg新しい帽子を被って小樽運河で写生をしていたのですが、突風がふき宙に舞った帽子はそのまま運河へと落ちてしまったのです。 あ、あ、ああ~!!
運河に飛び込みたい心境になりましたが、翌日の新聞に『帽子を取ろうと、おばさん運河に飛び込む!』という見出しの記事が載っては恥ずかしいので思いとどまりました。
周りを見回すと少し離れたところに、なぜか長い棒が置かれてあり、私はその棒を使って何とか帽子をすくい上げようと必死になりました。
ひっかかるのですが、水を含んだ帽子は重くなっていて、途中でまた落ちるのです。 何度も何度も繰り返し挑戦し、ようやく手元に引き寄せたときの感動は、何とも言えませんでした。 
(その様子をすべて書くと、長くなるので省略しました)

d0067794_0131514.gifそれから帽子には、お子様のように「ゴム」を付けることにしました。
ゴムなんか付けて、とN子さんにはまた笑われそうですが、気にしないことにしました。
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by tazu0617 | 2008-05-06 00:34 | 過去---想い出の頁

手紙                4月18日

小学校の高学年になると、私は何人ものペンフレンドとの文通を始めました。

d0067794_2312819.jpgその頃の少女雑誌には「文通しましょう!」というコーナーがあって、日本中の見知らぬ人たちと文通することができましたし、学校の友達同士でペンフレンドを紹介するということも行われていました。
今なら、さしずめ出会い系・・・・ということになるのでしょうけれど、たいていは同学年の同性のペンフレンドでしたから、学校のことを中心にした真面目なやり取りでした。

その他、年齢の近い従妹たちともやり取りをしていたので、その量は相当なものになりました。
これらの手紙は、結婚するときに実家に置いてきました。
一緒に連れていくには荷物になり、さりとて処分するには躊躇いがあったからです。

このたび、住人のいなくなった実家を整理することになりました。
布団・衣類・食器・写真・家具・・・細かい仕分けが済んだ膨大な量が、有料ゴミとして排出されていきます。
d0067794_1254796.jpg
そんな中に、あった~。
かつて私宛に届いた手紙の数々が・・・
電話のない時代だったので、通信手段は手紙だけでした。
投函した瞬間から、返事がくるのを首を長くして待っていた記憶があります。
 (昭和40年頃の手紙は何と10円の切手が→)

ずっと押入れに眠っていたこれらの手紙ですが、この機会に処分しようと思います。
どんなことが書いてあるのか、ちょっと中を覗いてみることにしました。
懐かし~い!! 40年前以上前のものもあり、少女だったころにタイムスリップしてしまいました。

あらら・・・青春時代に付き合っていた彼からのもあるわ。
結構情熱的なことを書いているじゃん・・・今頃はどこでどうやって暮しているのでしょう。

高校の同級生からの手紙・・・・男らしく元気のいい達筆です。
この友人が30代で急死したなんて信じられないことです。

同じく高校の同級生から・・・夢見る乙女だったこの彼女とは、同じシニアネットの仲間としても、今も交流があります。

さぁ、思い出に耽っていないで、現実に戻りましょ!
あれから長い年月が経ち、知力・体力はすっかり衰えてしまいましたが、過去は振り返らずに、前を見て歩こうと思っています。
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by tazu0617 | 2008-04-18 02:06 | 過去---想い出の頁