朗読ボランティア・デビュー       5月13日

春だというのに、「寒いですね」が、挨拶の初めの言葉。
ようやく開花した桜ですが、こう寒くては花見などしようにも震えてしまいそうです。

数ヶ月前、小樽シニアネットの会員であるTさんから、「朗読ボランティアのお誘い」のメールが全会員に流れました。
Tさんは10年ほど前から、小樽市内の病院や施設に出向いて、一人でボランティアを続けているのですが、代わってくれる仲間がいると、もし体調が悪くなったときも安心ということで、新たなメンバーを募集したのです。
Tさんは男性ですが、手を挙げたのは、石川啄木の妻と同姓同名の I さん、ブログでお馴染みのoss102さん、そして私の、女性ばかり3人でした。

Tさんが、実際に朗読しているところを傍聴したり、練習や打ち合わせを何度か重ねて、まずトップを切って私・鶴子が昨日「朗読デビュー」を致しました。
持ち前の度胸で何とか上がらずに済み、ホッ!でした。

今回、私が読んだものは、住友信託銀行が毎年募集している「60歳のラブレター」からの数編でした。 その中の一編を紹介します。
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       妻から夫へ       盛崎トシ子(58歳)
   
   「おい」「おい」と呼ばれてもう40年
世界中で「おい」と私を呼んでくれるのは あんた一人
  うれしい時の「おい」 つらいときの「おい」
     おこったときの「おい」 どれも
       依頼されてこその「おい」
     「おい」と「はい」 二人で一人
     「おい」で満足ですよ。あんた。


入居者・患者の皆さんの前で話をする時間は、わずか15分くらいです。
でも、適した題材探しには相当な時間がかかりそうです。
聞きやすいように、発声練習も続けなくてはいけません。

ところで、私はこのラブレターのように「おい」「あんた」と呼ぶ合うのは、ちょっと抵抗がありますね。 ブロ友の皆さんはいかがでしょうか。
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# by tazu0617 | 2010-05-13 21:53 | 現在---今日の出来事

面白いもの発見!       4月25日

d0067794_8555444.gif腰みののようなものを巻き、腰を激しく揺らすのがフラだと思い込んでいた私は、マキシ丈のドレスをまとい、ゆったりした曲に合わせて満面の笑みで優雅に踊るフラを、目の前で初めて観て、一目惚れをしたのです。

あれから6年、簡単そうに見えたフラも、やればやるほど奥の深さを痛感、自分の技量のなさも実感。 
プロになるわけじゃないのだから、そこそこに楽しく踊ればいいんじゃない、と自分を納得させているのです。

振付がなかなか覚えられない。 やっと覚えた曲もすぐに忘れてしまう。
レッスン時間に、その動画を撮っておくことは、フラに限らずご法度です。
習った振りをレシピに書いておく方法もあるのですが、うまく動作のイラストが描けません。

私は、手足が自由に動き、引っくり返らない適当な人形があればいいなぁと思っていました。
その人形に振りをつけ、写真を写し、イラストの替わりにするのです。

そして、探していたものを、ついにダイソーで見つけました。(100円ではありません)
でも、髪の毛も顔もなしでは可哀そう・・・関節丸見えの裸ではムードもありません。
そこで、端切れを使ってドレスを作ることにしました。 ついでにウイッグも。
顔はどうしましょ。 フラダンさんの顔写真を無断で貼り付け?
さぁ、どんなふうになるのでしょうか。
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d0067794_9545146.jpgd0067794_9551177.jpg  420円

やっぱり次から次へと仕事を作っています。
こんなことばかりしているから、そろそろ離縁されそう・・・。
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# by tazu0617 | 2010-04-25 08:52 | ねぇねぇ、聞いて!

学芸会 パートⅢ            4月11日

学芸会の思い出、最後は私ではなく息子のです。

小学校4年生だった息子の担任は、教師になる前は、寺山修司劇団で脚本を書いていたというユニークな前歴の持ち主でした。
学芸会での劇は、当然この先生のオリジナル脚本で、主役に立候補した数人の中から、引っ込み思案だったはずの息子が、なぜかその座を射止めました。

ただし、もしやってみて演じられないようなら交代するという条件が付けられたようでした。
『Tちゃん、主役になったんだってね』と、同級生のお母さん数人に言われて、たかが学芸会の劇ですが、私にもプレッシャーがかかってしまいました。

母子で台詞の練習をしました。
本格的な劇ということで、手渡された分厚い台本を前にして、台詞を覚えられるだろうかと、私も息子も不安になってきました。
まず、私が手本を示し、それを真似て息子が読み上げました。
何度も繰り返し練習しても、抑揚がまるでなく棒読みです。(加藤清四郎くんのような才能なし)

それから少し経って、息子はもう台詞の練習をしなてもいいと言いだしました。
やはり、交代させられたのです。

代わってくれたのは、息子の仲良しのS君でした。 何をやらせても頼もしいS君は、短期間で台詞をマスターし、本番でも堂々と演技していました。
息子は、その他大勢の役に降下。  どんな思いだったのでしょう。

d0067794_2128023.gifその1~2年後、S君は児童会の会長に立候補し、息子が応援を引き受けました。
しばらく経ったある日、息子が書いた作文を偶然読んで、私は息子の思いを知りました。
その作文には、「S君の応援を引き受けたのは、借りがあったから・・・」と書かれてありました。
あの学芸会の劇を途中で投げ出した格好になった詫びの言葉が綴られていて、引き受けてくれたS君には、何かでお返しをしようと思っていたと書かれていたのです。
まぼろしの主役も、息子には貴重な経験になったはずです。

またその後、主役の起用に失敗した先生は、まだ40代という若さで人生を駆け抜けて逝ってしまいました。 
生協で買い物中に倒れそのまま人生を終えるなんて、ご自身が作ったドラマにもない筋書きだったことでしょう。
 
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# by tazu0617 | 2010-04-11 21:28 | 懐かしの子育て奮闘記

梓みちよコンサート           4月4日

「ゾンタクラブ」とは、奉仕活動と女性の地位向上および国際交流を通じて、親善や平和のため努力するクラブだそうで、この小樽ゾンタクラブの会長をされているのが、我が
OSS(小樽しりべしシニアネット)の会員であるFさんです。
昨日、このクラブ主催の、梓みちよを招いてのチャリティーコンサートがあり、仲間と聴きに行ってきました。
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特別、彼女のファンというわけではありませんが、66歳とは思えない声量での抜群の歌唱力に加え、ジョークを交えたトークに引き込まれていきました。

観客サービスの一つなのでしょうか、「この中に、私好みのいい男はいないか・・」と言って、舞台から降りて探し始めました。
そして、梓みちよが選んだのは・・・なんと25才さんの夫であるOSS会長でした。
会長は半ば強引に舞台の上まで引っ張られていき、満員の観客が見詰める中、チークダンスが始まりました。
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ショーの最中は撮影が許されませんが、撮影OKの場面があるかもしれないと思い、バックにカメラを入れてあったので、慌てて取り出しパシャパシャ・・・。

思いがけないハプニングでしたが、会長は「冥途の土産ができた」と満更でもない様子でした。(まだまだ先の話)d0067794_2274130.gif
外に出て、その嬉しそうな顔を覗き込んでみると、暗い会場では気が付かなかったキスマークが頬に、くっきりと。 
ダンスが終わったあと、梓みちよがお礼にと、そっとキスをしたのだそうです。
スターにキスをされるというまさかの経験に、しばらくは酔いしれていることでしょう。

25才さんのブログにもこの事件(?)が載っています。
(↑ここをクリック!)
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# by tazu0617 | 2010-04-04 20:50 | 現在---今日の出来事

春を待ちわびて     3月27日

南の地方から、花便りもちらほら・・・。d0067794_8141199.jpg
まだ、庭は雪ですっぽりおおわれているこちらでは、鉢植か切り花でしか、香りを嗅ぐことはできません。
自称「花殺し」の私なのですが、この時季にはテーブルの上に置く小さな鉢植を買って、楽しんでいます。 
が・・・・ご覧ください。
シクラメンもプリムラも、もはやご臨終。
水も肥料も必要のない奥のミニ鉢(造花)だけが、勝ち誇ったように元気いっぱいです。


d0067794_0222244.jpg『なごり雪』とは言えないほど積もった今日の雪に、春は逃げて行ってしまいましたが、今、3泊の予定で孫が来ています。
娘が東京の叔父(私の兄)のところに行ったので、その間、預かることになったのです。

子供を育ている時には、それほど大声を上げなかったように思いますが、走り回って悪さをするこの孫には「駄目っ!」「こらっ~!」と、何度も声を荒げています。d0067794_239636.gif
日中は狭いケージの中に入れて出かけるので、解放されると嬉しいのでしょうね。

娘から電話がかかってきました。
「まろ、寂しがっていない?」「元気過ぎて困っているよ」「なぁ~んだ、平気でいるんだぁ」と、ちょっぴり不満そうでしたが・・・。
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# by tazu0617 | 2010-03-27 23:29 | 現在---今日の出来事

不完全燃焼?         3月23日

d0067794_1847429.jpgいつものガソリンスタンドで『春の洗車キャンペーン』が行われていたので、ポリマーコートと下廻りの洗車をお願いしました。
混んでいたので待ち時間、約1時間。
待合室には漫画本しか置いていなかったので、退屈をしていたところ、テーブルの上に明治のチョコレート風パズルを発見。 
(←) さっそく挑戦してみることにしました。

バラすと、6片が1ピースになっています。
それを元通りケースに戻すだけの、単純なパズルなのですが、これが超難関。
                                    (答えは一通りだけ)
因みに、従業員以外で完成させた人はいないそうです。
悪戦苦闘をしていると、「お客さ~ん、お待たせしました、洗車済みましたよ」と、声がかかりました。
でも、何だか不完全燃焼です。

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支払いを済ませてから、「このパズルは、明治製菓のキャンペーンか何かの景品だったのですか」と聞いてみたところ、ホームセンターで売っているとのことでした。
さっそく我が家のすぐそばの店に寄ってお買い上げ~ 680円でした。

あ~、なぜ自ら悩みの原因を作ってしまうのでしょ。 
当分(>_<)((+_+))(?_?)('_')(-"-)(-.-)・・・・・。
挑戦してみたい方、貸出しいたします。 ぜひ悩みを共有しましょう!!
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# by tazu0617 | 2010-03-23 20:14 | 現在---今日の出来事

学芸会の思い出 パートⅡ      3月21日

小学校時代の学芸会は、劇、舞踊、合唱(奏)というジャンルに分かれていました。
私はなぜか劇にしか出たことがなかったので、ダンスに憧れていました。
多分、普段のさりげない仕草から、ダンスには不適な子と思われていたのでしょう。

その私にチャンスが訪れたのは、5年生のときの学芸会でした。
しかも、群舞ではなく2人だけで踊るという注目度の高いものでした。
放課後、練習が始まりました。
もう一人は、小百合ちゃんという名前の、吉永小百合そっくりの可愛い女の子でした。
覚えが早い小百合ちゃん。 覚えが悪くぎこちない私。

全然サマにならない私に、先生が下した決断とは・・・。
さすが私を降ろすことはできなかったようで、逆にもう一人上手な子を増やしたのです。
目をそちらに向けようとしたのでしょう。

私は「踊れない子」と、自分自身にレッテルを貼りました。

時が経って、勤めた頃は社交ダンスが盛んな時代だったので、誘われてダンスホールに行くようになりました。
踊れないと思い込んでいた私が、すっかりハマってしまい、週末には必ずといっていいほど、踊っていましたね。 得意は早いテンポのジルバです。
踊れない子、返上で~す。
                              (写真は、クラブ活動の紹介ページより)
d0067794_209485.jpgシニアネットでは、「カラオケとダンスの会」というクラブに入り、月に一度の例会を楽しんでいます。 (今日は、その例会がありました)
ここに入って数十年ぶりに踊ったのですが、
リズムは身体が、ステップは足が覚えていたようです。
パートナーは、もちろん会の男性ですから、
60~80歳代なのですよ。
みんなで青春時代にタイムスリップ!! 
                        
                              
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# by tazu0617 | 2010-03-21 20:04 | 過去---想い出の頁

学芸会の思い出  パートⅠ         3月18日

d0067794_1592818.jpg小学校3年生の秋の学芸会。 その年の劇は「牛若丸」で、私の役は牛若丸の母である常盤御前でした。

当時、母は寮母をしていて忙しかったのですが、私の出番に間に合うように劇の中で着る衣装を持ってきてくれる約束になっていました。
ところが、待っても待っても来ないのです。
出番が近づいて来ました。 私は外に飛び出し母の到着を待ちましたが、とうとう間に合いませんでした。
急遽、ほかの劇で使う着物を借り、泣きはらした顔で演じました。
私は記憶にないのですが、泣く場面もあったようで、観客は舞台裏の出来事に気付かなかったらしいです。

母は、仕事の合間に私の劇だけを見るために駆けつけようとしたのですが、学校が遠いため、商店のお兄さんに車で送ってもらうことになっていたそうです。
その車が故障してしまったとか。 
田舎でしたし当時はまだ公衆電話もタクシーもない時代です。
母だってどんなに気が急いたことでしょう。

劇が終わったあと、出演者全員で記念写真を撮りました。
私の衣装は、すぐに返さなければならなかったため、私だけが普通の服で写っています。

まだ9歳でしたから、終わってしまえば、なんてことはなく、記憶にも残らない程度の悲しさだったのですが、どうしても忘れられないのです。
それは、母がそのことを悔いていて、「可哀そうなことをした」と生涯(まだ生きていますが・・)言い続けたからです。

私は、その都度「悲しくて泣いたことなんかもう忘れているんだから、気にしないで!」と、言ったのですが、少し前のブログにも書いたようにネガティブな性格の母なので、自分を責め続けたのです。

気にしてもしょうがないことは、あまり気にしない主義の私。 
私の生き方のほうがラクだと思うのですが・・・。
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# by tazu0617 | 2010-03-18 23:53 | 過去---想い出の頁

給食の思い出              3月10日

前回、子供のころの写真を載せたついでに思い出したことを、書いてみようと思います。
私は、かなりの偏食でした。 いや、過去形ではなく、今でもその傾向があります。

d0067794_2063962.jpg小学校・中学校と、学校では給食でした。
その当時の給食は、だいたい左のような感じで、アルマイトの食器に、コッペパンとバター・汁物のほかに一品、それからほとんどの皆さんがマズイという脱脂粉乳などのメニューでした。
私は脱脂粉乳が美味しくなかったという記憶も美味しかったという記憶もありません。
ただ、肉が大嫌いだったので、食べ残すことを許されなかった給食は、拷問に近いものがありました。 
先生の見ていないスキに、隣の子に食べてもらったり、昼休みもなく一人ポツンと嫌いなものと睨めっこしていました。
きっと、好き嫌いをなくそう!ということの指導だったと思いますが、苦痛以外の何物でもありませんでした。

母は、私が食べやすいようにと、カレーライスにひき肉を使ってみたそうです。
ところが、意地悪とでも思ったのでしょうか、泣きながら一粒一粒を箸で摘まみ出したそうです。
肉以外にも嫌いなものが多かったですね。

ところが、6年生のときに転校した小学校では、残してもOKだったのです。
もったいない、と言われれば確かにそうなのですが、私は長年の苦痛からやっと解放されたのです。
中学では、まったくの自由でした。

「こんな美味しい肉を嫌いなんて、可哀そう・・」などと、今も言われています。
肉の入ったメニューは多いので、それはとても上手に分けて食べます。
大変そうに見えるかもしれないのですが、そうやって50年以上もやってきているので、ほとんど無意識に手が勝手に分けてしまうのです。
栄養も十分すぎるくらい足りているようですので、どうぞ、ご心配なく・・・。
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# by tazu0617 | 2010-03-10 20:00 | 過去---想い出の頁

物 心             3月1日

シニアネットの仲間で、ブロ友でもあるうっふーさんは、最近の記事の中で「物心がついたのは何歳のころだったか」と、回想しています。 
記憶に残るような出来事があって、あとからそれが何歳の時のこと、と分かる場合もありますが、私はとても曖昧な記憶しかありません。

3歳3カ月上の兄は、私が生まれたときのことをはっきりと覚えていると言います。
母のお腹が痛くなり、急いでお産婆さんを呼びに行ったこと。 そのときの母の前掛けの柄まで覚えていると言うのです。

私は物心がついたのは、4~5歳のころだったような気がします。
右の写真は、多分5歳くらいのものでしょう。d0067794_22141415.jpg
前列でにこやかに笑っているのは、私と同い年のいとこです。背がとても高く脚もほっそり。
 
そして、怒ったような怖い顔をしているのが私です。 ちょっとポッチャリしていますね。
  (50年も前の写真なので時効と思いボカシ                    入れませんでした)
松島トモ子・小鳩くるみなどの童謡歌手の影響でしょうか、私も同じように当時流行っていた後ろ髪は短く刈り上げ、横髪にはパーマをかけた髪型をしています。
スカートの下から、パンツが見えていますね。
 
子供のころの私はいつも怖い顔をしていて、愛想が少しよくなったのは、大人になってからです。
いとことは、小学校の5年生まで同じ町に住んでいました。
横浜に引っ越ししてしまった彼女と別れた数年後に再会したのですが、意外なことが・・・・。

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# by tazu0617 | 2010-03-01 22:01 | 過去---想い出の頁